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2008/10/12

運術 嫁と姑

Hohohemi10


Ho1
お祭りシーズンですね。
花火の音で目覚めます。

主人のお母さんが、阿蘇に5日ほど行くことになりました。

職場での会話で、お姑さんが、実家に帰ったんですよ
・・・嫁が実家に帰るのは聴くけれど、
御姑さんが帰ったのですか・・・・

そう、どうしようもない嫁にあいそをつかして。笑・・・

後で、年忌だったので、帰ったのですが、
これが最後の里帰りになるかもしれないと、出かけたことを伝えたら、
さっきの笑もしんみりに。

人生には時が存在します。
生まれた故郷から離れた人たちは、どこかで思いで返しを
されると良いのかもしれませんね。

主人の御母さんは、聡明な方で、文句ひとつ聴いたことがありません。
いらない嫁がいても、今日まで、喧嘩ひとつしたことがなく、
感謝の限りです。

占い家業も、このお母さんが我が家を守ってくださったからだと思っています。この二人は、鑑定で、とってもよく似た、双子のような嫁姑
気にするところも、気にしないところも、よく似ているため、同じ時間をなるべく共有しないように心がけました。

東京に幾たびに、子供たちには、母はすぐに帰れない、いないと思い、
おばあちゃん達とどうすべきか、おばあちゃん達と助け合って・・
そんなことを言いつつ、この10数年東京に出かけていました。

そんな子供たちも高校生、おじいちゃんのご飯のしたくも出来るように成り、私は相変わらずマイペースで仕事をしています。

占いの鑑定は、安岡正篤氏の活眼活学の中に、

宿命・運命・知命・立命・・・なんでもないことのようで、実は自分を知り自力を尽くすほど難しいことはありません。

自分がどういう素質能力を天から与えられておるか、それを、称して「命」と申します。それを知るのが命を知る。知命であります。知ってそれを発揮していく、即ち自分を尽くすのが立命であります。

命を知らねば、君子で無いという論語の最後に書いてあることは、いかにも厳しい正しい言葉であります。命を立てずとも、せめて命を知らねば、立派な人間ではない。・・・・・・

命とはかくのごとく先天的に賦与されておる性質能力でありますから、あるいは「天命」といい、またそれは後天的修養によって、ちょうど科学の進歩が元素の活用も出来るように、いかようにも変化せしめられるもの、即ち動きの取れぬものではなく、動くものであるという意味において「運命」とも申します。

占い・運術鑑定は、宿命という元素を、いかように動かしていくか。
主人の御母さんの宿命と私の宿命という元素を、どのように摩擦が起きないで、この世で、活発に動かしていくか。科学に匹敵する、我が家の運術活用法でもあります。

最後のときかもしれない、その思いを胸に、九州に旅立った、お母さんは、素晴らしい生き方をしてきた人だと思います。
 人を最後まで、見届ける役目として、まず、身近、家族から思っています。己を知る、家族を知る。そんな運術であるように精進したいな・・・

運術のあり方を試行錯誤をしています。多くの人に、わかりやすく表現していこうとおもいます。
運命は自由にすることが出来る。
命数は定まっている。命の時間は定まっているのです。定まった命の時間をどのような空間で
描くか。

ともに論議したい方は、遊びに来てください。

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